幸せになりたい。これは誰もが考える内容だと思います。
事実、多くの人が幸せになるために努力をし、幸せの実現に向けて努力されているのではないでしょうか?
僕もその一人です。
幸せになりたいです。
しかし、この幸せになりたいと願うことこそが実は不幸を呼んでいるとしたらどう思いますか?
なぜこのようなことを言ったか、お伝えしていきたいと思います。
幸せとは?
幸せとは何でしょうか?
幸せという尺度はとても抽象的で様々な視点を含んでいますよね。
社会的、肉体的、精神的等。
それでは、一つ疑問を呈します。
それは不幸を感じることで感じられるのです。
どういうことかというと、そもそも嬉しい、楽しいなどのポジティブな感情は、苦しい、悲しいといったネガティブな感情を知らないと感じられません。
ネガティブな感情がない世界ではポジティブな感情もまた得られないのです。
つまり、幸せを得るためには不幸を感じないと行けないのです。
多くの幸せを得たいなら多くの不幸を得ないといけないのですね。
多くの不幸を知らない人が多くの幸せは感じられないのです。
これは上記「悪魔とのおしゃべり」のブランコの法則で語っている内容と同じですね。
さらに掘り下げたい方は購入してみてください。
幸せになるには?
さて幸せを得たいなら不幸を感じないといけないとお伝えしました。
しかし、多くの不幸を感じるのが幸せなのでしょうか?
僕はそうは思いません。
僕が考える幸せとは「足るを知る」だと思います。
いまこのようにして生活出来ていることに感謝。
息を吸えていることに感謝。
生きていられることに感謝。
このように万事に感謝出来るようになると、多くの不幸を感じなくても既に多くのものを持っており、既に幸せなんだと感じることができます。
「いやいや、でも全然お金持ってないし、借金だってあるし、結婚できてないし、俺は不幸だよ」と思う人もいるかもしれません。
そもそも上記のようなことで悩めること自体が幸せなのだと気付きたいものですね。
世界には明日生きる事すら難しい人や、環境の問題で勉強が出来ず、そもそもこの記事を見ることすら出来ない人も未だ多くいます。
自分の状態は恵まれていると思いませんか?
今既に生きていられる、この現状に感謝をし幸せを感じることができれば、多くの不幸を得なくても良くなるのです。
「ニーバーの祈り」という言葉はご存知でしょうか?
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)
この変えることが出来るものというのは、自分の考え方や行動だと思います。
逆に変えることが出来ないのは他人や社会などです。
多くの人は、他人を変えようとしたり社会を変えようとしますが、変えられるものではありません。
結局は自分を変えることしか出来ないのです。
自分の考え方を変えていき、足るを知ることができれば幸せになれるのではないでしょうか?
しかし、この「足るを知る」ことは他者との比較をしている人生では難しくなります。
他者はこれだけお金を持っている、容姿が良く優しい結婚相手を持っている、幸せそうな生活をしていると自分にないものを他者は多く持っていますよね。
この時もニーバーの祈りを思い出し、何が変えられるか考えたいものですね。