先日、はてな匿名ダイアリーでこういった記事を見かけました。
ホッテントリに入っていたので見た方もいらっしゃるかもしれません。
この記事を見て、そういえば僕はどのように「生きてるのが苦しい時」を乗り越えたんだろう?と振り返ってみて、今ならどのように乗り越えるのかな?と考えて見ましたので共有したいと思います。
対象読者
- 人間関係やお金問題で生きるのが嫌になっている人
- これから生きるのが大変になって来た時のために何か備えておきたいと考えている人
はてな匿名ダイアリーでは
まず、はてな匿名ダイアリーでどういった内容があげられていたのか確認してみます。
著者がまとめてくださったものですと、以下があるようです。
- 食う寝る遊ぶ
- 苦しみが通り過ぎるのを耐え忍ぶ(何もしない)
- 逃げる
- 専門家に相談
- 自己分析
- 環境を変える
- 考え方を変える
- 何かに依存する
- 1日生きることだけを考える
- ジタバタ足掻く
- あきらめる
- 何かしらアウトプットする
- 運動する
- 誰かにたよる
- コントロールできることとできないことを整理する
色々な意見がありますね。
人それぞれ考え方や背景などが異なるため、絶対にこれが正しいというのはその人自身しか分からないとは思いますが、試してみたいと思うものがいくつかありますね。
苦しい時、どのように乗り越えてきたか?
僕は過去に苦しかった時、どのように乗り越えてきたか?というと、同じ悩みを持ってる人が他にいないかネットで検索してましたね。
そして、その人がどのように解決していたか?を確認し、実際に試してみていた気がします。
合う合わないがありましたが、結果的にその試行錯誤しているうちにいつの間にか苦しさが無くなっていった気がします。
おそらく、時が解決してくれていただけかもしれません。
また、振り返ってみて僕自身を褒めたいなと思ったことがありました。
それは自分を変えようとすることで苦しさから逃れようとしていたことです。
周囲を変えようとしなかったことですね。
例えば、職場で嫌な人がいた時、その人に何かを言ったり、上司に告げ口をして注意してもらうなどのようなことはしていませんでした。
「なぜ、あの人はこういうことをいうのだろう?」「僕のこういう部分がダメだったのか」「あの人はこういうところがあるから対策をとった方がいいな」などと自身の考え方、対応を変えていました。
ニーバーの祈り
なぜ僕の過去の行動を褒めたいのか?と言いますと、それは「ニーバーの祈り」を実践していたからです。
ニーバーの祈りとはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者と言われている祈りの言葉で日本語訳は以下となります。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン
引用: Wikipedia
ニーバーの祈りでいう「変えることのできないもの」というのは、社会や周囲の人ですね。
僕がこうしろ!って言ったとしても他人は変わりませんよね。社会はもっと変わりません。むしろ「なんでお前の言うこと聞かなきゃいけないの?」という状態になるのがオチです。
では「変えるべきもの」とは何か?というと、自身の考え方や態度なのですね。
これだけは自身でコントロールすることが出来ます。
過去の僕はコントロール出来るところを変えようとしていたのですね。変えられないものを変えようとして躍起になって、いつまで経っても苦しいままという状況は避けられていたようです。
今ならどのように乗り越えるか
過去の自分とは違い、経験も多い現在の僕自身がどのように乗り越えるか?と考えました。
結論として、行動自体は過去と変わりませんでした。
変えられるもの(自分自身の考え方や在り方)を変えていくだけだと思います。
ただ、その時に少し心構えが出来ました。
それは問題が起きる時、原因は常に自分自身の中にあり、人や社会はその原因を映し出す鏡であるということです。
そして、問題が起きるという困難こそ、人生の醍醐味であるということです。
それぞれ説明していきます。
原因は常に自分自身の中にある
「原因は常に自分自身の中にあります」というと
いやいや、誰かや何かがあるから問題が起きるのであって、自身に原因があるのって違うのでは?
と思うかもしれません。
しかし、それは違います。
その問題を「問題視している自身の考え方」が問題なのです。
同じ問題が起きたとしても、あまり気にしないという人がいますよね。
なんであの人はあんなことが起きているのに平気なんだろう?と。
ここがポイントです。
自身には「こうあるべき」という正しい姿があり、そこと乖離しているため問題があると感じているのです。
そもそも「こうあるべき」という状態はありません。
万事、良いことも悪いことも両面を含んでいます。その一面に気づかず悪い面だけに意識が向いてしまうことこそが問題なのですね。
問題が起きるという困難こそ、人生の醍醐味
問題が起きるという困難こそが人生の醍醐味です。
どういうことか?と言いますと、もし、人生が何も問題が起きずいつも楽しいことだけが起きていたらどういう風に感じると思いますか?
僕は「その楽しいという状態が当たり前になって、いつの間にか飽きてしまう」と思います。楽しいことで得ていた楽しさも無くなってしまいます。
なぜかというと、どんな感情も反対の感情があるからこそ、その感情を感じ取れるのだということです。
楽しい感情は、辛い、つまらないなどの反対の感情があるからこそ感じられるということですね。
これを身近な例であげるのだとすれば、実家は離れてるからこそありがたみを感じ、帰りたいと思えるというような感じでしょうか。
また、別の観点のことを言いますと、人は成長していく生き物です。
出来ないことが出来るようになっていくのが人間です。また、その成長が人としての喜びでもあります。
そんな中、困難がなく、順風満帆でずっと生きていられたらどうなるでしょうか?
困難がない状態で自身を改善しようと思うでしょうか?
思わないと思います。何の創意工夫もないまま、のうのうと生きることになります。
僕も人間関係で悩んだりしたおかげで、以下のような記事をかけるほど成長をすることが出来ました。
困難を積極的に受け入れていこう
困難というのは、前述した通り成長のタイミングであり、人として前に進めるチャンスです。
解決したい課題があり、自身なりに考えだした対策を試してみて解決していく。
こうして、どんどん困難を無くしていく過程を楽しんでいければ、人生楽しくなりどんなことでも乗り越えていけるのではないでしょうか?
ここで余談ですが、僕の好きな曲を紹介します。
Mr.childrenの「HERO」です。
この曲はメロディーはもちろんのこと、歌詞がとても好きなんです。
歌詞の一節にこういったものがあります。
人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
どうでしょうか?
僕はこの歌詞がとても好きです。人生は良いこと悪いこと両方あって、成り立つものなのだと深く思いました。どちらか一方だけでは成り立たないのだと。
生きるのが苦しい時の切り抜け方
今までの内容をまとめてお伝えしますと、
変えられるものと変えられないものを見極め、変えられるものを変えていく努力をしていこう。
困難を避けて通るのではなく、困難から何かを学ぶという意志でいよう。困難こそ人生、人格を向上させていくチャンスなのです。
でしょうか。
生きるのが苦しい、死にたいと思う時もあるかもしれません。
しかし、その困難を乗り越えてまた違った世界を見ることが出来ている自分を想像してみて、何とか耐えて乗り越えてみても良いかもしれませんね。
もちろん、あまりにも困難が続きすぎて、自身の体調が悪くなってしまったら逃げた方が良いです。
そうでないのであれば、何かをその困難から学ぶ姿勢でいたいものですね。
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